令和8年2月定例会総務委員会
2026年6月15日
質問内容
質問者:佐地 茂人 議員
質問日:2026/3/06
会派名:自民改革会議
○佐地委員
分割質問方式でお願いします。
まず、インドネシアへの県内事業者進出について、総務委員会では地域外交課が担当になると思いますが、できる範囲で御答弁をお願いしたいと思います。
今年度、静岡県議会では海外事情調査団を構成し、インドネシアの状況について視察してまいりました。人口が約2億7500万人で若年層が非常に多く平均年齢が30歳前後と将来インドに次ぐ大きな市場になる国だと認識しています。しかしながら人口の87%がイスラム教徒でありイスラム文化圏に進出していくにはハラールへの対応、また国の輸出入の規制が非常に厳しい国であることを勉強してまいりました。
そこで1点目、県内企業の進出支援などの経済面も含め今後どのようにインドネシアとの交流に取り組んでいくのかお伺いします。
2点目、海外進出ではイベントや見本市など手に取って、または口で味わってSNSや口コミで広がることが非常に効果が高く重要であると勉強してきました。そこでお伺いしたいのが、インドネシアでのイベント、見本市等の情報を取りまとめ、地域外交課が今後どのような形で関わることができるのか。インドを中心にここ数年急速に交流が深まっていると認識しております。すごく大事なことだしありがたいことだと思います。東南アジアの中では今申し上げたとおり今後の急成長が見込まれるインドネシアについても本県でしっかりとした友好や外交をしながら県内事業者が海外に進出することが大事だと思っていますが、この2点についてお答えを頂きたいと思います。
○小関地域外交課長
まず1点目のハラール対応についてですが、3番委員御指摘のとおりイスラム圏への輸出についてはハラール対応等が重要であり、特に輸出経験の少ない中小企業にとってはサポートが大切であると考えております。具体的なサポートとしては、県の外郭団体である静岡県国際経済振興会がインドネシアを含む9か国にビジネスサポートデスクを設けて対応したり、県内では同じく国際経済振興会がコンサルタントを企業に派遣して寄り添い型の支援を行っております。
インドネシア全体との交流については、経済面のサポートも含め、県はインドネシアの西ジャワ州と覚書を結んでおりますので、西ジャワ州のお力も借りながらいろいろ交流を深めていきたいと考えております。
2点目のインドネシアの見本市やイベント等の情報の周知ですが、インドネシアに限ったことではありませんが有望な見本市等については経済産業部や県内に2か所あるジェトロと連携してメールマガジンで周知を行っております。また経済産業部で輸出に関心のある企業のメーリングリストを持ってPRを行っております。今後も東南アジア事務所等を活用して見本市等の情報を集め、引き続き周知に努めていきたいと思います。
○佐地委員
意見、要望を申し上げますが、急に私からインドネシアの話をさせていただき、すぐに対応は取りづらい部分もあろうかと思いますが、ハラールと国の規制等で合弁会社を設置して2000万円の出資をした上での事業所認定が、今のところインドネシアに進出するための事業者のルールの1つだと言われております。
入り口が非常に厳しい反面、中に入っていくと、本県の特徴を持った形で販売数や輸出入が非常に増えてくるのは人口面からも明白であり、また国民性も日本にとって非常に友好的な方々だと理解しております。ぜひまたインドネシアに特化した取組をインドと並行して進めていただきたいし、あわせて労働者として本県に来る海外の国としてはネパールやミャンマーと並んでインドネシアも増えてきている状況ですので、優秀な人材を窓口にしていただきながらインドネシアに特化した形で民間との連携に努めていっていただきたいと思います。
では、続きまして総務委員会説明資料22ページ、新県立中央図書館整備に係る今後の取組についてお伺いします。
1点目、東静岡地区整備推進事業費1億8000万円を当初予算に計上しサウンディング調査と埋蔵文化財調査を今回実施するとあります。
気になった点は、期間が令和8年から令和10年の3年間という非常に長い期間で取り組むとのことで、かなり慎重であり、今の財政状況も踏まえた考え方なのかと予想するところですが、実は私が静岡市議会議員であった20年から25年前ぐらいから東静岡駅南口県有地の埋蔵文化財調査は何度か行われてきております。初めは全体の調査、そして前知事の時代に文化力の拠点として活用する上での調査もされたと思います。そのときには旧東海道の部分があるから、その上には建物を建てられないとの話を知事がされたのを記憶しています。また図書館を建設する前にも土壌調査と並行して、建物の高さ等も含めた埋蔵文化財調査もしているのではないかと思います。
私の記憶でも3回だとすると今回が4回目と、土壌調査等と取り違えて認識が間違っているかもしれませんが、今回何回目になるのか。この埋蔵文化財調査ではどのようなことをこの予算の中で進めていこうと考えているのかお伺いさせていただきます。
また2点目、最後の部分に書いてありますが、今回の取組は令和10年代の中頃から後半となっています。後半というと今からおよそ10年ぐらい先に開館していくことになります。この10年間の中で物価や人件費の高騰が今以上に進んでいくことも踏まえて、できれば少しでも早い開館を望んでいますし、土地利用を進めていただきたいと思っていますが、今回の予算も推進体制が教育委員会と知事部局と分かれて設定されています。
そこで、今後の知事部局のスケジュールをもう少し具体的にお示し頂きたい。サウンディング調査や官民連携手法の検討についても数年前に一度行っております。下手したら2回やってるんじゃないかと思いますが、そうしたことも踏まえて今後のスケジュールをできるだけ具体的にお示しください。
3点目、このサウンディング調査、官民連携手法検討ですが、今年度の本会議で土地の売却、各部局の土地利用の希望調査について質問しました。静岡市との連携を踏まえた上ですが、10年ありますので静岡県の行政機能として必要なものが東静岡駅南口県有地に組み込まれていくことも非常に重要だと思っております。今までの文化力の拠点の話も含め、東静岡駅南口県有地にどのようなものを希望しているのか。具体的に東静岡駅南口県有地を何にどう活用していこうと想定しているのか。今は図書館以外全く分かりませんので、各部局へ利用の有無を今後聞いていくべきだと思いますが、どのようにお考えなのか、3点お答えください。
○山田企画部理事(政策調整担当)
まず、1点目の埋蔵文化財調査の件です。
3番委員御指摘のとおり、東静岡地区につきましては、埋蔵文化財調査をこれまでも行っております。グランシップを建設するときに1回、県立図書館を造るときの事前調査として1回、それから試掘等を含めて2回やっていますので、合計4回やっていて、今回5回目になりますが、今回はこれまでも説明していますとおり県有地につきまして一体的な開発を前提に考えております。まだ未調査の部分が3,200平米ありますので、そちらにつきまして令和8年度から10年度に3年間かけて調査をすることを考えております。
次に2点目、全体のスケジュールにつきましては、見直しの方向性を12月に公表しました。これに沿って新県立図書館の基本構想、基本計画などを改定して具体的な機能、整備手法を決定したいと思っております。その上で整備手法につきまして、例えば民間活力を使うとなるとPFIなどの手法が想定されますが、その場合は民間提案を公募した後、施設整備に進んでいくスケジュールが想定されます。いずれにしましても、令和10年代中頃から後半をめどに、できる限り早い開館を目指していきたいと考えております。
特に来年度につきましては、資料にも記載しておりますが、年度前半に有識者会議を開催して、新県立図書館の基本構想の改定を進めたいと思います。その上で基本構想で明らかにする条件を前提にサウンディング調査を新たに開始し、民間事業者から事業の可能性を聞き、事業手法について絞り込んでいきたいと考えております。
それから、3点目です。
新県立図書館の整備以外に現時点で決まった方針はありません。今後検討を進めるに当たって、静岡市が進めるまちづくり等の一体性、民間の開発ニーズ、県の財政負担の抑制など様々な視点で検討を進めることになっていくと思います。
東静岡にどのような公的な機能を整理するかですが、こちらにつきましてはファシリティーマネジメントの観点や、その公的機能が東静岡にふさわしいかという観点で必要だと判断される場合に検討されると考えています。
○佐地委員
御答弁を聞いていて、いいと思いますよ。
改めて、1点だけ再質問ですが、元の東静岡土地区画整理事業のときには文化芸術のエリアと一部商業という形もあって、そこから文化力の拠点の中で、例えば静岡大学の留学生の活用や大学コンソーシアムなどいろいろな形のお話も出てきたわけです。
前回のサウンディング調査の前の官民連携手法の検討のときには事業が成り立たないとのことで、一旦様子を見ようということも踏まえて不調になりました。そのときにはレストラン等の人がにぎわうエリアと併せてITやAI等のベンチャーも集めた事業ビル、企業立地のような話も一部構想に取り上げられて、その内容については現静岡市長の難波市長もすばらしいことだという話もこれまでされている。
そうした中で、私としては今までの議論も大事にしてほしいし、先ほど御答弁頂きましたファシリティーマネジメントの中で老朽化した県有施設を組み込むことが可能かどうかについても、時間がありますのでぜひ各事業課にも一声お声かけ頂いて進めてほしいと思っております。
そこで再質問ですが、今までの議論は白紙の状態でやるのか、今までの議論も含めて有識者会議等で検討するのかどうか、その点について分かっていたらお答えください。
○山田企画部理事(政策調整担当)
今回の基本的な考え方は、今の新県立図書館の計画をゼロベースにするのではなく、それを一定のベースに置きながら社会情勢の変化等に合わせて改定していくスタンスです。
文化力の拠点の構想は、その1個前の構想になりまして、県立図書館の整備構想は次の構想になっていますので、私どもとしては、今回は今の県立図書館の整備構想を踏まえながらやっていくと考えております。
○佐地委員
最後に意見、要望になりますが、図書館以外で活用する県有地についてぜひ幅広い議論をしていただきたいと思いますし、民間で例えばホテルも欲しい等いろいろな意見がありますけれども、やはり県有地ですので、県として使うべき土地であればいいと思うし、民間活用であれば売却も1つだと思うので、分かりやすく進めていただきたいと思います。
静岡市長が伝えている北側のアリーナが2029年、2030年にいよいよスタートするとのことで静岡市では今年度の当初予算に大きく設定されていると伺っております。時間はありますけれども、その時期と合わせるぐらいのつもりで、積極的に事業を推進していただく新年度になるように期待しておりますので、よろしくお願いいたします。
質問は以上でありますが、年度末を迎え、お集まりの説明員の中でこの委員会を最後に職を退かれる方がいらっしゃると伺っております。紹介させていただきます。
企画部では山田琢也部長、田中宣幸デジタル戦略部長、横地眞澄多文化共生推進官兼企画部理事、総務部では鈴木学部長、そして本日はお休みですが林聖久次長、財務部では山田勝彦部長、村松正章次長、勝又寿尚建築工事課長、そして出納局では芹澤真一局長、監査委員事務局では森岡克明事務局長の10名であります。
この10名の皆さんにおかれましては、これまで本県行政に多大なる貢献をされましたことに、心から感謝と敬意を表したいと思います。
皆様にとっては最後の委員会となりますので、これまでの県行政における経験、県行政に対する所見や後輩に贈る言葉などをごゆっくりお話頂きたいと思います。
○飯田委員長
たっぷり時間もありますので、3番委員がおっしゃるように本当にいろいろ思いの丈を教えていただけたら、我々も感激に浸りたいと思いますのでよろしくお願いします。
○山田企画部長
ただいま3番委員から、私どもこの春に役職定年となります職員にはなむけの言葉を頂き、また発言の機会を頂きましたことを感謝申し上げます。ありがとうございます。
私は昭和63年に静岡県庁に入庁いたしました。昨日もここで話題になりましたが、昨今では静岡県庁職員の人気低下も顕著でありますけれども、私自身は誰かの特定の利益のために働くのではなく、社会全体のために38年間働けましたことを大変幸せに、そして誇りに思っております。
入庁後は平成の大合併の時期を迎え現在に至りますけれども、この間に広域自治体の役割が大きく変化したと感じております。平成12年に地方分権一括法が施行され国、都道府県、市町村は対等、協力の関係になりました。市町村に多くの権限が移譲され、都道府県の役割は大きく変容しています。県内では静岡市、浜松市の両政令市が誕生して、他県に増して地方自治の内政統治の形が模索されることとなったと感じておりました。総じて都道府県の役割は時代を終えたのではないかと私自身も感じる時期がございましたけれども、昨今の急激な人口減少によって適応対策が考えられるようになり、広域自治体に事務処理権限を再び戻すのが効率性が高いのではないかという議論が始められようともしております。
また、公を官だけで担う時代が終わりました。そのため各界各層との連携が模索されるようになった時代でもありました。官と民の関係性で言いますと、規制緩和が進んで、私ども役人が得意としておりました事前の許認可といった行政手法から、事後への規制、市場のゆがみがある場合にだけ審判として都道府県が登場する、そうした役割の変化も求められた時代でもあったと感じております。この後、県政を担う後輩の皆さんにはさらなる変化のスピードに戸惑うことも多いと思いますけれども、物事を変えることに気負い過ぎることなく、社会全体の利益のために将来世代への責任を果たすという強い使命感を持って仕事に向き合っていただきたいなと願っております。
最後になりますけれども、私自身は説明員となりましてから約7年間、ほとんどこの総務委員会で過ごさせていただきました。その間委員の皆様とも様々なやり取りをさせていただいた経験がございます。本年も飯田委員長をはじめ実りの多い議論ができたと感じています。県民の付託を受けられました県議会議員の皆様のお言葉は私ども職員にとっては大変重いものでございます。議論の過程の中で自信にもなりますし、また励みにもなります。我々の後に続く後輩職員にも変わらぬ御指導をお願いいたします。
あわせて、本日は御欠席でいらっしゃいますけれども、私どもにいつも温かく気さくに接してくださった2番委員への感謝の気持ちを飯田委員長にお預けして私の挨拶とさせていただきます。長い間ありがとうございました。(拍手)
○田中デジタル戦略部長
まずは貴重な委員会の時間におきまして、このような機会を設けていただきまして誠にありがとうございます。
また、長きにわたりまして、総務委員会の皆様をはじめ県議会の議員の皆様には多大なる御指導、御鞭撻を賜りまして、心よりお礼を申し上げます。ありがとうございました。
この機会にどのような話をするのかと考えたわけでございますけれども、立場が変わるに当たっての改めての決意をお話させていただきたいと思います。県職員としての37年間を振り返りまして、どの時代の経験が県職員としての影響が大きかったのかと考えました。その中で特に平成16年から5年間在籍した行政改革室で業務棚卸表を使った行政評価に携わった経験が非常に大きかったと思います。
今は常識的に行政評価は行われておりますし、通常ですと1年間単位で事業や取組のPDCAサイクルを回す形ですが、私としては実は別の認識がございます。現状維持にとどまることなく、そこから何を変えるのかと考えるマインドが行政評価の上で非常に重要なのではないか、さらに日々の業務の中で小さな改善を積み重ねていくことが大きな改善につながっていくんだという認識に至ったところでございます。行政改革室を離れた後も、どの場面でも現状よりもよくするためにできることはないかと考えることが私の仕事の基本的なスタンスになったと思います。
来月からは立場も変わりどんな仕事に就くのかも未定ではございますけれども、何かしらの形で県行政に関わる形になろうかと思いますので、引き続き少しでも現状よりもよくするというスタンスで微力ながら静岡県の発展に力を尽くしていきたいと考えております。
結びに、県議会の議員の皆様におかれましても、引き続き変わらぬ御指導、御鞭撻を賜りますようお願いを申し上げまして、役職定年に当たっての決意表明にさせていただきたいと思います。長きにわたりましてありがとうございました。(拍手)
○横地多文化共生推進官兼企画部理事(地域外交担当)
3番委員から、発言の機会を賜り誠にありがとうございます。
これまでの思い出と後輩職員への一言をお話しさせていただきます。
新卒時はバブルの名残もあり大変景気のよかった証券会社に入社いたしましたが、初日でここではずっと働いていけないと泣きべそをかく羽目になりました。当時女性が中途入社できるところもなかったものですから、もう公務員しか道はないと思い込んだところもありまして、大学のゼミの先輩だった村松毅彦前経済産業部長に公務員試験の参考書をもらいに行きまして、会社に通いながら一生懸命勉強して無事転職することができました。無事に県庁には入りましたが、以来村松毅彦さんには、横地は俺のおかげで県庁に入れたとずっと言われ続けることになりました。
県庁では様々な職場を経験し、やりがいのある仕事もさせていただきましたがピンチもありました。特に企業局には3回在籍しましたが、自分がいるときに限って例えば大きな水道管が老朽化で破裂して漏水を起こしたり、台風で被災して1週間近く熱海市や函南町で断水を起こすなど生きた心地がしない、二度としたくない経験もいたしました。本当にインフラは大切だと思います。
しかし、いろいろありましても、この節目の年まで最初の希望どおりずっと仕事を続けることができました。多くの支えに感謝するとともに、県庁を選んだ自分の判断は正しかったと改めて思う一方、やっぱり一番は村松毅彦さんに感謝すべきなのかなと今思う次第であります。
後輩職員へということですが、これは希望ですがどこも拾わない仕事、ニッチな仕事を拾った職員や所属が評価される県庁になるといいなと思っております。今後も新しい行政課題は次々に発生すると思います。今の県庁は、私の感覚では仕事を拾った人が損をする、押しつけ合いの風潮があると感じるところがあります。これは我々世代の責任でもありますが、県庁の組織文化を変えていくという意味でも、どうぞよろしくお願いしたいと思っております。
最後に、議員の皆様方におかれましては、我々同様、後輩職員にも温かい御指導をお願いしたいと思います。どうぞ健康ファーストで、ますますの御活躍をお祈りしております。これまで本当にありがとうございました。(拍手)
○鈴木総務部長
総務委員会の各委員の皆様方には、貴重なお時間を頂きまして誠にありがとうございます。
私は、平成元年4月に入庁させていただきまして37年間、これまで本当に多くの方に支えられてこの日を迎えられましたことをまずは心より感謝を申し上げたいと思います。
中でも新型コロナが発生したときに、東京2020オリンピック・パラリンピックの本県開催担当をしておりまして、その準備は大変印象深い仕事だったと思っております。開催すべきではないのではという社会風潮がありまして、部下の中には開催方針に戸惑って配置転換をしてほしいとか、中には大きく心のバランスを崩してしまった部下もいました。自分自身も当時そういう立場におりましたので、当時危機管理部にいた山田財務部長や感染症対策局長でありました青山健康福祉部長といった方々と対峙していた感じでしたが、結果として期間中に大きな問題が起こらなかったものの、組織委員会それから我々の判断や選択が正しかったのかについては今も考えさせられるところであります。
しかし、こうした逆境を乗り越えられたのも強い信念を持って厳しく指導頂いた諸先輩方、それから仲間の存在、そして歯を食いしばってついてきていただいた後輩の働き、さらに議会の皆様や県民の皆様の寛大な御理解があったからこそと思い返しているところであります。
さて、オリンピック・パラリンピックのエピソードを1つだけ紹介させていただきたいのですが、実は大会の1年延期が決まりまして、大会までの盛り上がりの火を消さないように本県独自で伊豆で合宿中の自転車チームを応援しようということで、令和2年8月にベロドロームで選手激励会を開催しようという話になりました。その激励会には当時の組織委員会会長の森元総理、それから橋本聖子オリンピック・パラリンピック担当大臣を招待しまして、選手を激励していただこうということで両氏の日程調整に入ったわけですが、まず選手側の日程を押さえるということで選手の強化合宿の休養日となっておりました8月9日にセットして調整に入りました。
ところが、森元総理の日程調整の中で公務、政務の双方から情報連絡をかけたんですが、そこがうまくかみ合わなかったことと、開催予定の8月9日が長崎に原爆が落とされた日であったことで森氏の大逆鱗に触れまして当時の知事まで巻き込んで、私自身が大火消しをする事態になりました。結局自転車競技の鬼コーチと言われたブノア・ベトゥコーチに直接謝罪して日程を変更していただいた経緯もございました。
大会中もいろいろありまして大変でしたが、激励会が終わって森、橋本両氏を三島駅まで送らせていただいて帰ろうとしたときに、お二人が呼んでいるということで、どきどきしながら新幹線改札横にある貴賓室へ入っていったわけですが、そのときに森氏から今回いろいろありがとうと言っていただいたことを非常に覚えております。
その晩、そんなことがあったと家族で食事をしながら笑いながら話をしていたんですけども、しばらくしたときに突然目から涙がだあっと流れてきました。本当に後にも先にもない、生まれて初めてでしたが、仕事のやりがいや達成感は本当に厳しい状況下をくぐり抜けないとなかなか分からないものだとそのときに思った次第でございます。
後輩の皆様には、今は非常に厳しくても必ず報われる、そういったときが来ると信じて精いっぱい今を走り抜けてほしいと考えております。
最後になりましたけれども、本県の今後のさらなる発展と皆様の御健勝、御活躍を心よりお祈り申し上げます。長きにわたりまして本当にありがとうございました。(拍手)
○山田財務部長
本日は発言の機会を頂きまして誠にありがとうございます。
私からは、今年一番印象に残った、心願成就した1つの出来事と、それから県職員の間大切にしてきた心得の2点についてお話しさせていただきたいと思います。
私は、財政課に平成の10年から20年代ぐらいにかけて10年間おりまして、15年ぶりに部長としてやっと決められる立場で戻ってまいりました。
財政課という職場は予算があるときは常に遅いんですが、当初予算のときは11月から2月まで3か月強の間、夜中の2時、3時まで仕事をして土日もなくやっております。今の働き方とはちょっと逸脱したような職場ですけれども、お正月も1日休めればいいという職場でした。
当時、妻が幼児3人を抱えてワンオペをしておりまして、私がなかなか財政課勤務で帰らないということで随分迷惑をかけました。お風呂のときだけはせめて帰ってきてと言われお風呂のときだけ抜けて帰って上司から叱責を頂いたのが今でも印象に残っております。
久々に戻ってみますと、やはりお正月はなかなか休みが取れませんということで、今年度、財務部長で戻ってきて、正月は必ず6日間休もうと一番最初に方針を決めました。そしていわゆる課長調整、部長調整、それから副知事、知事調整とやりますが、課長調整と部長調整を一緒にやることにしました。11月から部長調整を始めて各部長との調整も行い、年末に課長調整が部長調整でひっくり返って手戻りがあることがよくあったのですが、そういうことがないようにすることで今年は6日間の休みをしっかり財政課の職員にも取っていただきました。
財政課が指示を出すと全庁が動かなきゃいけないということで、全庁職員もいい年末年始を送れたんじゃないかなと、時間外も相当減ったんじゃないかと思っております。役所ではなかなか昔からの伝統を変えにくいですが、やっぱり自分の思いを持って改善する意思を今後後輩職員に持ってもらいたいなと思っております。
もう1点、私が県職員として大事にしてきた心得でございます。常識を磨け、それから地域エゴを捨てよ、この2点でございます。やっぱり公僕である以上はその時々の常識をしっかり持ちながら、法律においても解釈は常に変わっていくものだと思います。そういう意味では時代の流れをしっかり見てどこが正しい軸なのか、世の中の軸なのかを考えながらやっていくことが判断をしていく上ですごく役に立ったと思っております。
もう1つは、地域エゴを排除せよということでございます。静岡県は350万人の人口がいながら実際には山梨県3つ分だよねとやゆされることがあります。要は東中西ばらばらで結局山梨県が3つあるのと同じじゃないの、350万人の力を発揮できていないんじゃないのかとよく言われます。
過去失われた15年の中での部分もございますが、市町との関係性の中で県は時として個別に市や町の相談に寄り添うこともあるけれども、やはり地域間、市町連携に力を注いだり、県全体がボトムアップできる、成長できるところにもっと力を注ぐべきじゃないかとすごく思っております。地域エゴを排除しながら、これからの県庁職員が全体最適、県全体のことを伸ばしていくことができる出発点に立てるんじゃないかなと思っています。
現状、産業構造の変換であるとか、大きく言うとトヨタ自動車東日本やホンダのオートバイ工場の熊本移転等、様々な企業も静岡県からいなくなってしまいまして、結果的に産業的に劣後している状況にあります。ここを取り戻していくこと、人口減少下で戦っていくことが並大抵のことではない中において、今こそ静岡県が一致団結していける体制を、少なくとも県の職員は地域エゴを捨てて全体一丸となってやっていくべき時期に来ているんじゃないかと強く思っております。
最後に、県庁での私の人生は、国へ行ったり静岡市へ行ったり、直近ではかなり波乱万丈な人生を送ってきたと思いますが、県議会の先生方はじめ職員の皆さんと多くの出会いがあり、いろいろ支えられてここまでやってこられたと思っております。今後とも先生方にはさらなる御指導、御鞭撻を頂くことで県全体が成長していけるように今後ともお世話を頂ければと思っております。長い間どうもありがとうございました。(拍手)
○村松財務部次長
県議会常任委員会において挨拶の機会を頂きましてありがとうございます。
私からは、県の職員38年間の中の思い出について話をしたいと思います。
私が新規採用で入って4か所目、31歳のときに、平成9年からテクノスーパーライナー、略してTSL「希望」という船ができました。その運航管理を現場の清水港で最初の立ち上げに関わらせていただきました。
覚えている方は少ないとは思いますけれども、テクノスーパーライナー「希望」は、国から実験船を払い下げていただいて大規模改修をして、平常時は清水港から下田港までのカーフェリーで、災害時には防災船としての運航を始めたところでございます。国が将来の高速貨物輸送を考えていたものですから、船の構造として海面と船体の間に空気を送り込んで船体を浮上させて、ガスタービンを回して時速75キロメートルの高速船として運用をしていました。ただあまりにも船が大きくて高速で走るものですから、軽油を燃料としていたんですが燃費が1リットルで8メートルと非常にお金がかかる船でございました。
それから、もともと実験船だったこともありまして、運航開始してから二、三年、私たちがいる期間は本当に頻繁にエンジントラブルを起こしまして、フェリーのお客さんや乗船した方からよく怒られました。当時新聞でも大きな見出しで「希望」またエンジントラブル、「希望」絶望という感じで、記者の方にうまく書かれて悔しい思いをしたことを今でもよく覚えております。
それから、1年目はフェリーの便数が非常に多く注目されていたのもあって平日も2往復していたものですから、予約の時点でお客さんがゼロという日が時々あったものですから、県職員が所長以下3人いたんですけれども、ゼロはちょっとよくないよねということで職員3人が交代で1人ずつ乗船料4,800円を払って出航の間際まで見極めて交代で船に乗ったこともありました。本当にいろいろありましたが、今思えば非常に懐かしくて楽しかったいい思い出となっております。
あと1か月ありますけれども、役職定年を迎えるに当たってはほっとした気持ちと少し寂しい気持ちがございます。最後の10年は本当に早くて、あっという間に終わったという思いがありますので、職員の皆さんには改めて楽しく仕事をやって、一生懸命やっていただきたいなと思います。県議会議員の先生方、職員の皆様には非常にお世話になりました。ありがとうございました。(拍手)
○勝又建築工事課長
先ほど3番委員から紹介頂き誠にありがとうございました。それからこのような機会を設けていただきましてありがとうございました。
私は、昭和最後の年の昭和63年に県に採用され、38年間建築の技術職員として勤めてまいりました。最初の勤務先が今の建築工事課、当時は営繕課と言いましたが、そこで公共建築物の設計及び工事の監理を行いました。これも何かの縁だと感じております。それ以降学校施設、庁舎、がんセンターなど多くの県有建築物の建設に携わることができました。特に若い頃は今と同じように不調、不落という苦い経験もしましたが、建物を造る喜び、楽しさが数倍勝っていたと思っております。
今般、その当時と比べて法令の遵守や業務の厳格化、工事のやり方や現場の雰囲気もかなり変わってきております。若い後輩職員にはぜひものづくりを楽しむ気持ちを忘れずにいい建物を造り続けていただきたいなと思っております。
話は変わりますが、昭和51年度に東海地震説が発表されて以来、阪神・淡路大震災、東日本大震災、熊本地震、最近では能登半島地震等、他県では様々な地震が起きて大きな被害を受けております。幸いなことに私が勤めている間、38年間は静岡県では大きな地震は来ておりません。でもいつかは必ず来るんだという心構えをぜひとも持っていくことが必要かなと思っております。
これは有事のことだけではなく通常の業務のことでも言えると感じております。後輩の方には個々の能力を磨くことはもちろん、目的意識を持ってちゃんと周りと連携していっていただきたいと思っております。特に印象深く思ったのは阪神・淡路大震災のときに我々のOBの職員が応急危険度判定をやったんですが、そのときに大々的にテレビやニュースで報道された姿が非常に印象深く残っております。
それから、この38年間「TOUKAI-0」による建物の耐震補強などの耐震対策や県独自の構造設計指針による建て替えもかなり進んだことから、これから訪れる東海・南海トラフ大地震で今までやってきた成果が現れると思います。
財政難の中で建て替えだけでなく確実に良好な建物のストックを計画的に行っていく上でも日々の保全事業、ファシリティーマネジメントに取り組んでいくことが重要だと思っております。県議会議員の皆様には引き続き御支援、御協力をお願いしたいと思っております。
退職後は別の職場でしばらくは仕事をすることになりますが、私としても静岡県のために役立つことがあればしていきたいと考えております。長い間お世話になりました。本当にありがとうございます。(拍手)
○芹澤出納局長
このような発言の機会を頂きありがとうございます。今まで先輩方の挨拶を聞いてきましたが、自分がこの挨拶をさせていただくことになったと思いますと感慨深いものがございます。
私は平成24年、25年の2年間、部付主幹として仕事をさせていただきました。この2年間は自分の県職員生活の中でも大変貴重な経験となり、また大変勉強になりました。
一例を申し上げますと、部付主幹になって早々に議員の先生から地域の皆さんが事業をやるので県の助成制度の対象になるかという照会を受けたときに、部に戻って確認したところ対象にならなかったものですから対象になりませんとお伝えしました。そうしたら先生からそういう仕事の仕方では駄目だと、対象にならないならほかの方法やほかの制度を検討してやるのが仕事のやり方じゃないかと言われました。確かにそうだなと思いまして、また部に戻って再度確認して関連する団体の助成制度が対象になりそうだということが分かりましたので、先生にその後お伝えいたしました。そのときには先生がにこっとされまして、いつもすごい緊張する先生だったんですけれども、ああよかったなと思ったことをよく覚えております。この指導のおかげで以後自分の仕事を進める上でもほかに方法がないのか、何とかできないのかをより強く意識するようになりました。その後の自分の仕事でも生かされたのではないかと思っております。
また、部付主幹の職を離れてからも県議会議員の先生方からはいろいろな場面でフォローをしていただきました。時にはお叱りのお電話を頂いたりもいたしました。お叱りのお電話は本当に勉強になりまして、ありがたいなと感じたところであります。
後輩の皆さんへ伝えたいこととしては、月並みにはなりますけれども、仕事の生産性を上げるためには前向きに楽しく仕事をしてほしいと思います。これを実現させるための1つとして何でも言える、言い合える職場の雰囲気が大事であると思っております。上司の立場になる方はぜひそういう雰囲気づくりに心がけていただければなと思います。
最後になりますが、1年間総務委員会でお世話になりました先生方、それから職員の皆様方に感謝を申し上げるとともに、皆様方の健康と御活躍を祈念いたしまして挨拶とさせていただきます。ありがとうございました。(拍手)
○森岡監査委員事務局長
このような発言の機会を頂きましてありがとうございます。
昭和63年入庁で38年間勤めさせていただきました。この間議員の先生方にはいろいろな場面で御指導を頂きまして本当にありがとうございました。また多くの先輩方の御指導があり、それから同僚や後輩の職員の皆さんから助けられまして、それから家族の支えがありまして何とか勤めることができたと思っております。ありがとうございました。
若い頃は本当に未熟な職員で、20代後半に初めて本庁勤務になりまして道路建設課に配属になりました。そこは出先機関とは違って非常に忙しい、それから厳しい上司がいらっしゃって、仕事の仕方をたたき込まれました。忙しい中でも昼休みに駿府城公園に行って野球のノックを受けました。そういうこともあり心身ともに鍛えられました。ちなみに財務部の村松次長はそのときの同僚でございました。
それから、30代前半に先輩から広い視野で客観的に見ろ、総合的に考えろと教えられました。また先ほど財務部長からもお話がありましたけれども、常識の感覚を磨けという教えがありまして、こういったことが私を成長させてくれたのかと思い返しております。若い職員の方々にも視野を広く持って、日々新しくなる常識やテクノロジーを取り込んでいっていただきたいなと思っております。
それから、これからの県行政は財政健全化を進めながら、人口減少、少子高齢化に適応する地域づくりを進めていくという大きな課題に取り組むことになると思います。私の立場から申し上げますと、監査委員の役割としましては、県民の視点から県の事務事業が経済的に、効率的に、効果的に行われているかをチェックしていくことになりますので、そういう役割も大変重要になっていくと考えております。監査委員事務局の職員の方々には仕事に対する誇り、信念を持って取り組んでいただきたいと思いますし、健康が何より大事ですので、健康に留意されて県民の皆さんのために頑張っていただきたいと思っております。
最後になりましたけれども、議員の先生方には引き続き県への御指導をよろしくお願いしたいと思います。大変お世話になりました。ありがとうございました。

